2026・1・1
身近な人の中でさえ、病気で急逝される人の話を聞く。もうそんな歳なのかと呆れる。私は自分自身の生への渇望、言い換えれば死への恐怖などあまりない。
50歳を過ぎればもう儲けものと思っている。好きなように、のんびりと、そんな風にあれと願っている。
幸あれと思う、お元気で。
2025・12・24
遠くて、小さく見えるのだけれど双耳峰の谷川岳、国境稜線は真白だ。平穏であることをひたすら、思う。
2025・8・23
「物言えば唇寒し秋の風」なんだろうが、個人でなく社会的問題と言った意味でなら、せめてオブラートに包み口ずさみたい。
2025・7・1
山に入ると日常的な事柄をすっぱりと断ち切り、ある意味「自由」でいられた。思考も情念も壁に突き当り、八方ふさがりに嫌気がさし、そんな私に山行は精神安定剤の役割を
果した。
今現在、思考も情念もすこぶる平穏そのものである。でもやはり、あの山行の高揚感を私は欲する。本来の自由を、私は欲する。在るものを認識できる私に、何とはなしに少なからず
自信を取り戻したような安ど感を知る。こんな和らいだ精神に山は何を語るのか、すこぶる楽しみだ。
いざ、、、、、、。
2025・6・9
いつでも山に行けるのに、体力的に望むような山行は無理と思う。気持ちの上では攀じ登る岩の感触を熱望するのだが、人様に迷惑を掛けられない。 私にできることは、平坦な登山道をゆったりと歩むだけだ。外国人ハイカーの喧騒の中での散策もそれはそれでよいのかもしれないが、昔日の山行を思い起こすと 何となく楽しめない自分を認識してしまう。やはり行きたいな、山に。
2025・4・1
室生犀星が、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの、、、」とうたうが、私も何とか心を
コントロールする術を身につけたようだ。人様に迷惑を掛けなければ、思うこと自体が何であれ、そして勝手にしても自由だ。
貴方からすればなんとも気味の悪い、呆れた人と思うかもしれない。
貴方がどんな境遇にあるのかは知らない、どんなふうに考えているのかも知らない。
しかし心配しないで欲しい、意思に反する接近を私は欲しない、私は自制できる。
2025・2・10
こんな寒さはではなかった。もっと冷え冷えした、凍える冬が普通であった。